『ゼロ年代のベルリン-わたしたちに許された特別な場所』展関連トークイベント
Don't forget to go home
-ベルリンのクラブシーンと音楽-
対談:
浅沼優子(ベルリン在住音楽ライター)
市川裕子(西麻布elevenディレクター)
DJ NOBU
Don't forget to go home
-ベルリンのクラブシーンと音楽-
対談:
浅沼優子(ベルリン在住音楽ライター)
市川裕子(西麻布elevenディレクター)
DJ NOBU
を聞きに行ってきた。
そのトーク内でおもしろそうな意見があったので考察してみる。
話の始まりは、1989年ベルリンの壁崩壊後、自由を求めていた人々によって、どのようにして今のベルリンが形成されていき、音楽シーンがなりたっていったのかとゆうこところ始まった。
クラブカルチャーは80年代ニューヨーク、90年代ロンドンを経て00年代はベルリンへと移行。
昨今その自由な風潮からベルリンに移住するアーティストの数が増大。
2003年にRichie HawtinがNYよりベルリンに移り住んだあたりからケタミンの爆発的な流行とともにタンタンと時間を忘れ自らの世界に没頭し踊ることのできるミニマルテクノが確立。
現在に至る。
今回僕が注目したのはその移行の経緯となるような意見である。
今なぜベルリンがアーティストにとって世界で最もホットな場所と呼ばれているのか?
なぜベルリンでなければならないのか?
『それは他の都市がつまらなくなってきてしまったからではないのか』
とゆうひとつの意見が飛び出した。
確信かもしれないと感じた。
1つのカルチャーが成熟して拡大してくると、当然様々な人々が出入りするようになり、そこには数多くのルールが生まれる。
以前のような自由な空気は排除され、コントロールされた空間になる。
(お酒の販売の規定、ドラッグの取り締まり強化、年齢認証など)
日本でも今は年齢確認が必須になっていますね。昔はなかったな〜。10年前くらいかな。
あの当時のクラブはもっといかがわしかったけど、今よりももっとカッコイイものに見えていたな。
それにお金になるとわかると企業が入りコマーシャルなイベントが増えてくる。
そうなると反体制的で前衛的なアーティストたちにとっては表現の出来ない場所になっていく。
きっとどの国でも、どの時代もこの流れが続いてきているのだろう。
今は確かに自由で住みやすい『ベルリン』ではあるが、この先はどうなっていくのだろうか。また歴史は繰り返されるのだろうか。
果たして今現在のベルリンはどの段階なのであろうか。
まさに諸行無常である。
次なるホットスポットはもぅ生まれだしているのだろうか。
2005年から世界中の都市をまわり様々なカルチャーシーンをみてきたが、確かに今のベルリンは世界でもっとも''free''な刺激に溢れているように感じた。
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